春恋ねむ。の不定期ショコラβ(仮)

書庫をもじったものです。ステーキショコラにしようか迷いましたが、特に深い意味はありません。幽霊みたいな人が気まぐれで色々考えるブログ的なものがコンセプト。しばらくは暫定として、不定期ショコラSNS.β(仮)という記事に短文形式で書き込んでいく、アップデートしていく的な感じでやっていく予定でござるん。

今回の選挙が初投票となるので、改めて投票の仕方や最高裁判所裁判官国民審査について調査

※この記事は、約5600文字の長文で構成としては最初に衆院選に関して少し、その後の最高裁判所裁判官国民審査に関する判断材料についての言及に比重が置かれています。最後のパラグラフに国民審査についてのわたしの主張がまとめられています。

 

 2、3年ぐらい前から政治的な話題については日頃からなるべく奥深くまで調べてきたのですが、年齢上今回の総選挙から投票できることになり、実際に手元には入場券が届きました。正直、カテゴリーの「中共の動向」でも言及していますが、国内の小笠原諸島のサンゴ密漁をはじめ、他国による侵略行為ともとれる危機に関して後手後手の対応で、なんら改善もしていないのに700億もの大金を投じて行う政権延命のためだけの総選挙に大義があるようには思えませんし、こういう選挙が初の投票となることには疑問多々、複雑な思いがあることは否定できません。しかし、自己満足かもしれませんが、せめてもの抵抗の意思を示す手段として、今回の衆議院議員総選挙に関わる事柄を再確認しておくこととします。

 衆議院議員総選挙の投票方法については、総務省の、7. 選挙による投票方法の違いが分かりやすいかと。つまり、小選挙区のやり方は、住んでいるところの選挙区からヒト(候補者)を選んで記載、一方比例は組織(政党)を選出するシステムになっています。

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総選挙について話を進めると、わたしの基本的な投票基準というのは、「保守主義憲法改正私案」さんの、総選挙。保守主義の「投票基準」を考える。を参照されたほうが分かりやすいと思います。投票基準について引用すると次のような感じです。

投票基準(優先度が高い順)
1、皇統を守る候補者。女性宮家創設容認・女系天皇容認は論外
2、憲法改正賛成の候補者。反対の候補者は「美徳ある自由」の敵。
3、防衛費増額賛成の候補者。反対の候補者は中国・ロシアの協力者
4、「脱・福祉国家」賛成の候補者。
5、原発稼働賛成の候補者。非科学の候補者はカルト信者と同じ。ただし、選挙区事情は考慮。
6、TPP賛成の候補者。反対者は「反日」と同じ。ただし、選挙区事情は考慮。
7、候補者の愛読書に保守主義の著書がある。「バーク」「ハイエク」「中川八洋」など。

おおよそ、このようなものと思われます。上記1~3は絶対条件で例外はありません

 厳しくいくのであれば、たしかに1~3は絶対条件なのですが、選挙区によっては新人が立候補となっていて考えがよく分からなかったり、旧来の候補だけであったとしても当てはまる人物がいないことは十分にありえることでそうなると、事実上の棄権を行使するしかありません。実際問題、9割がた正しい主張をなしている候補者など果たしているのかという疑念はまさにそのとおりで、たいていの有権者が投票にいかないのも無理ないことだろうとは思います。ただ、わたしに関していえば、実際の投票に関しては、住んでいる選挙区で一番マシといえる候補者に、あるいは現状で望みのありそうな政党に投票するというスタンスを貫くことはすでに決めていることです。つまり、最悪を落とすという考え方です。

 

 また、先に挙げた、「保守主義憲法改正私案」さんの記事には、旧来の候補者・代議士に限られるでしょうが、基本的な考え方がリストとしてまとめられたリンク資料があり、おおいに役立つことでしょう。必見です!

 

 ところかわって、最高裁判所裁判官国民審査に関する話題に移ります。これはわたしが知らないだけなのかもしれませんが、NHK・民放含め物心ついたころから審査される裁判官についての情報を発信している、いた番組というものを一度たりとも見たことがありません。判断材料を公平に報道せずして、いったい何のために存在しているのか疑問に思うものですが、たしかに代議士の総選挙よりも毎回関心が薄いのは事実ではあります。総選挙と同時に行われる国民審査は、前回の総選挙で任命された裁判官に限定されるようで、全員ではありません。次の日本経済新聞の記事が伝えています。

 今回審査を受けるのは、2012年12月の前回衆院選後に任命された鬼丸かおる、木内道祥、池上政幸、山本庸幸、山崎敏充の5氏=告示順

 国民審査の投票方法については上記画像にも記載されていますが、この記事も簡単に解説しています。

審査は、辞めさせたいと思う裁判官に「×」印を書く方式で、有効投票の過半数が「×」だった裁判官は罷免される。何も記入しなければ信任とみなされ、「×」以外は全て無効となる

 初めて国民審査が行われた1949年以降、過去22回の国民審査で延べ167人が審査されたが、罷免された例はない

 ただ、この国民審査は「罷免された例はない」とあるとおり、投票の仕方に問題があるのは間違いなく、何も記入しなれれば信任した、とするのはいわゆるヌルゲーであり、本当にやる気あるのか、という疑問が沸き起こるものです。が、発想の転換をあえてするなら、選挙以上にふさわしくない者に、「NO!」をつきつけることが当然の、誰かを落とすことに特化した、ストレートな投票・審査でもあります。

 

 ふさわしくない者を落としてよいというのであれば、では今回の国民審査で対象となる5名すなわち、鬼丸かおる、木内道祥、池上政幸、山本庸幸、山崎敏充氏らのなかで、不適切な人物がいるのか、という問題が浮かび上がってきます。わたしがざっと簡単にネット上で、プロフィールなりPDF等の資料を探ってみた結果、5名中2名がふさわしくないように思えました。人によっては、誰かを落とすという決断に関して、ためらいを覚える方もいるでしょうが、わたしがふさわしくないとするのは、今後の日本に悪影響を何らかの形で及ぼしかねない可能性のある人物です。その2名についてこれから掘り下げていくこととします。

 

 まず、山本庸幸(やまもと・つねゆき)氏。Wikipediaの記事が簡単に過去の発言に言及していて、最近は収まりをみせたともとれるのですが、最高裁判事に就任したことを上手に利用し、「集団的自衛権の行使は、従来の憲法解釈では容認は難しい実現するには憲法改正が適切だろうが、それは国民と国会の判断だ」と主張した、政治運動の一派の1人です。つまり、集団的自衛権反対あるいは妨害をなす人物であり、これが採用されるされない関係なく間違いなくやってくるであろう、2020年代ごろから現実味を帯びてきている中共・ロシアの同時侵略(?)に対する備え・動きというものに関して足を引っ張っているわけです。

 

 この発言に関しての、菅義偉内閣官房長官の反論も記載されており、「最高裁判事が公の場で憲法改正の必要性まで言及したことについて、非常に違和感がある」、「(最高裁判断が)確定するまで、憲法解釈は、内閣法制局の専門的知見などを活用しながら、第一義的には内閣が行うものだ」との、これらの反論のほうが権力の分散を規定した三権分立に照らし合わせると適切です。民主党政権下の、専制君主気取り”小沢一郎氏を筆頭になされた、立法府による行政府剥奪が横行したこともあって、各権力の位置づけや適切な範囲というものに関して、大多数の有権者は麻痺してしまっているのかもしれませんが、山本庸幸氏も似たようなもので、司法の人間が政治の世界のはなし、すなわち行政府が決めることに関して介入をするという、越権行為を平然となした人物であり、おこがましいものです。もっとも、他の分野になりますが、法治主義ももはや消えかけているのが実情であり、こういう人間がのさばるのも無理ないことかもしれません。

 

 山本庸幸氏やそれに連動する一派が平然とこういった発言をなすのにはある共通点のようなものがあり、山本氏もやはり内閣法制局出身者。ネット上ではそれほど話題になることもないのがある種の盲点ともいえるのですが、内閣法制局とはじつはいわくつきの機関であり、実態としては劣悪、いわゆる“アカ”でもあるのです。行政が関係する部署はたいてい特定の政治思想を持った団体に支配されていることはそれほど珍しいことではありませんが内閣法制局もどうやらそのようです。その問題点については、中川八洋筑波大学名誉教授の次の記事が参考になります。


この記事において、内閣法制局とは明治憲法を起草した井上毅という大碩学が長官であったことを笠に着て、さも独立グレン隊かのように振る舞い、「財務省・旧自治省農水省経産省法務省五省出身からの“左遷組”法律事務官が中核をなしており、長官は、これらの中から選ばれる」という悲惨な実態、そして憲法解釈を個人の感情で判断したり、今まで権力者のいいなりになってきた経歴(田中角栄総理時代、憲法第89条違反の私学助成導入)について、厳しく指弾されています。天下りや単純な官僚批判はよく行われるのに、内閣法制局についてはまったくといっていいほど槍玉に挙がらないのはどういうことなのでしょうか、実に不思議です。

 

 次に、鬼丸かおる氏。弁護士出身であることがどうも関係しているようで、ネット上で見つけた、「鬼丸かおる最高裁判事に聴く」というPDFをもとに話を進めていきます。まず、ひっかかったのが6ページ目のインタビューに対する回答。

 例えば、スーパーでおにぎり3個万引きしたという類の刑事事件の上告も多いのですが、形式的に窃盗だと言えば、そのとおりです。でもその被
告人は、おにぎりを盗まなかったら、飢え死にするしか途はない常習的だとか、遵法精神の欠如といって刑罰を科しても解決はしないと考えこん
でしまいます。社会的に強者として生きてきた人には、実感として分からないのではないでしょうか

 一般論からしてもおかしいといえるでしょうが、司法に属する立場であり、しかも裁判では最上位の最高裁の判事だというのだから驚愕するしかありません。ある事件に対して、教条的だとか硬直的な判断を下す可能性があるから、情状酌量だったり司法取引などがあるのではないでしょうか。また、「飢え死にするしか途はない」と決め付けていますが、世の中にはある宗教だけではないにせよ、ホームレスの人々など生活に困っている人のために炊き出しを行ったり、心の支援を積極的にしている個人・団体は普通に存在します。また、社会保障や医療費の爆発的増大が問題になっているくらい、我が国は生活保護制度が手厚いものともいえます。それらは具体的な解決方法・アクセスの手段であり、法律はあくまで先人から受け継いだ“法”というものを参考に罪を罰するもので、世の中の人々を律するためにあるものです。どうも、鬼丸氏はそういった相違点を混同しているようですが、生活に困窮している人々のために今まで炊き出し等のボランティアをやってきたのだから、そういう主張をされているのかもしれません。ですが、もしとくにこれといった支援をしてこなかったというなら、それは偽善というものでしょう。おにぎり3個といっても、それはその店の商品であり、財産でもあります。

 

 続けて読み進めていくと、8ページに次のような記述が。

 私は小さいころから男女差に敏感でした。ませた子で(笑)。なんで「男女」って言うんだろう「女男」じゃないんだろうと、小学生低学年から疑問を抱いていました。

 鬼丸氏はどうやらフェミニストでもあるようです。男女というごくありふれた呼称に対して、「女性差別!」と言いたくなる性分の持ち主で、彼女からすれば、カトリックバチカンだったり、我が国の皇室の皇位継承についても同様なのでしょう。ですが、それらは単純に性差別の視点で単純に議論ができるようなものではありません。長年の歴史の堆積というバックボーンがあり、それらは嫌が応でも現在の暮らしに密接に関わっているものです。そういった呼称・制度に対してケチをつけて攻撃したところで何が良くなるというのでしょうか。また、「女男」という言い方を好んでする人々はとある問題点があるものです。この点については、『教育黒書』(PHP研究所)掲載の、八木秀次山谷えり子氏による対談、「<性差解消>教育に異議あり!」が詳しく、そこでは、「女男」という言い方をする人々は、「ジェンダー・フリー」の名の下に、運動会の騎馬戦を男女混同でやらせたり、着替えも同じ教室でやらせる(高校生)、修学旅行で男女同じ部屋で寝させる(小学6年生!)といった通常の常識からすれば驚愕するようなことを平気で実行している問題について言及されています。こういったことをし続ければ、鬼丸氏のような「ませた」男の子によってか弱い女の子が被害に遭うのは避けられないものですが、じつは「女男」を叫ぶ人々にとっては女性のことなどどうだっていいのです。こういう心理が背景に存在することを知っておく必要があります。

 

 以上、わたしの主張をまとめると、最高裁判所裁判官国民審査おいて落選させるべきは、5名中2名。該当者は、山本庸幸鬼丸かおる両氏。山本氏は、三権分立ガン無視の集団的自衛権反対および内閣法制局出身であること。一方、鬼丸氏は、司法の立場に属しながら、軽犯罪教唆ともいえる発言およびフェミニストの可能性が濃いことが落選させるべき主要な理由となります。この国民審査の投票について判断材料となるものがもしあったら、随時紹介していく予定です。また、何か有効な判断材料があれば、コメント欄にでも書き込んでいただいて紹介していただけるとありがたいです。