春恋ねむ。の不定期ショコラβ(仮)

書庫をもじったものです。ステーキショコラにしようか迷いましたが、特に深い意味はありません。幽霊みたいな人が気まぐれで色々考えるブログ的なものがコンセプト。しばらくは暫定として、不定期ショコラSNS.β(仮)という記事に短文形式で書き込んでいく、アップデートしていく的な感じでやっていく予定でござるん。

新ウィッグでありながら「バークの弟子」とも称されるトマス・バビントン・マコーレー(1)

負の側面がそれなりにあるという点で、ジョン・クィンシー・アダムズやジョン・カルフーンに近く、取り上げる必要性に疑問を感じていましたが、米国でバークを広めたラッセル・カークが著書で取り上げているため、書くこととしました。また、日本で冷遇されているところに同情を感じたのも理由の一つです。

カークは、次のように評しているとのことです。(https://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2018-07-04

カークがマコーレーを取りあげるのは、マコーレーが純粋な民主主義は自由と文明に破滅をもたらすと考えていたからである。とはいえ、どちらかというと自由主義的な立場をとっている分(しばしばホイッグ史観と批判される)、マコーレーにたいするカークの評価は厳しい。

〈荒廃した時代のイングランドにおける、社会的原因と社会的結果の関係に対するマコーレーの理解は、自らその時代を生きたにもかかわらず、ひどく近視眼的としかいいようがなかった。生涯を通じて、産業人口の増加、その潜在的な政治的影響力の脅威、彼らの倫理状況に、不安を膨らませつづける一方、産業化、都市の発展、そして機械化やあらゆる意味での集権化といったものを、マコーレー以上に好意的に称えた者はいない。この自己矛盾は徹底的に自由主義的だ。〉

 マコーレーは実用性と進歩を称賛し、道徳を軽蔑した。産業主義が社会の進歩をもたらすと信じ、伝統的家屋より実用的な住宅を推奨した。とはいえ、労働者階級は厳重に政治権力から引き離しておくべきだとも主張していた。かれらが権力を握れば、私有財産制が危機にさらされると思っていたからである。カークが評価するのは、この後半の部分である。
 産業社会は格差を生み、必然的に多くの労働者階級を生みだすが、マコーレーはこうした財産をもたない人びとに選挙権を与えるべきではないと考えていた。普通選挙権は貧乏人の利益を拡大させ、勤勉な者からの略奪を容認することにつながるというのだ。
 マコーレーは社会主義の祖ともいうべきベンサム功利主義を攻撃した。「これが、保守主義の理念に対するマコーレーの主な功績である」とカークはいう。
 マコーレーはアメリカの民主主義をほとんど評価しなかった。大衆的民主主義が自由と文明を破壊するだろうとみていたからである。カークによれば、「マコーレーは民主主義の反自由主義的傾向について近代社会に警告した」。
 だが、国民の大部分が労働者である以上、経済的平等を求める流れは止めようがなかった。その意味で、マコーレーの保守主義ははじめから失敗する運命にあったが、その精神は記憶されるにふさわしいとカークはいう

せっかくこういう題材があるので、カーク評を骨子にまずはマコーレーの基礎情報をまとめていきたいと思います。
彼は、新ウィッグに属していた、つまりはバークの(同じ党でありながら)政敵であったフォックスやその弟子にあたる、「人民の友」の創立者、グレイ卿の立場に立っていながら、人権論者でなかったという一風変わった特徴があります。
そういう経緯があってか、「議会での演説もマコーリーにとっては同じことで、名演説をいくつも残しエドマンド・バークと同格との声」もあるなど、(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC#cite_note-16)しばしば保守主義の祖、バークと比較されることがあるようです。
故人の石上良平・元成蹊大学政経学部教授は、『英国社会思想史研究』で、「歴史的事実に拠って判断を下す」点で、むしろエドマンド・バークの弟子と評していて、その一例として、ジェイムズ・ミルの哲学批判の一説、「三千年の経験を放棄しようとするものだ」をあげています。
また、「現世代の人々の利益のみならず、永遠に連続する諸世代の利益を考慮に入れなければならぬ」とのバークが最も雄弁に主張したものを受け継いでいて、「私有財産の神聖」を中心に唱えています。ただ、ここは「イギリス国家の基本構造」を中心に唱えたバークとは違っていて、本流との違いというべきかもしれません。
とはいうものの、哲学的な頭脳においては優れていないという定評があるようで、多くの評論家に下されているという弱点があります。ただ、保守主義の系譜にある哲学者にはその価値を認められているようで、最低でも上述のカーク、ハイエクやアクトン卿が言及しています。アクトン卿の評価は厳しいのですが。


その他の特徴として、党内の身内からも自由な行動が許され、功利主義のジェイムズ・ミルという論的からも厚遇・尊敬されたという事実があるようです。彼の功利主義批判は(日本の)共産党と一線を画そうとする日本社会党の態度に似ている、と石上氏は評していて、当時の政界の複雑さがあったことは頭の片隅にでも置いといていいかもしれません。

(既に承知だと思いますが、ここからは『英国社会思想史研究』の翻訳を参考にしていくことを断っておきます)

さて、カーク評の流れで負の部分から見ていくと、マコーレーは進歩を政府が賢くなる要素と捉えており、それが勤勉や精力、節約に帰すべきだと主張していました。長いので、進歩を称賛していたことがわかる一文を引用します。

何となれば、我が国が人間の物質的快適に寄与するすべてのことにおいて偉大な進歩を遂げつつあることは、疑う余地がないからである(一九八項)

国が人間が進歩するとの発想は全体主義の系譜の一つですね。
さらに、カークは取り上げていませんが、政府の目的は「人民の幸福」であると主張していて、当時参政権がなかった中等階級の幸福が増進させられないのはおかしいと演説しています。そのためなら政府が肥大化してもよいと考えていた節があるかもしれません。

王政と貴族制とは価値があり有益であると私は思っているが、しかし目的としてでなく、手段として価値があり有益なのである(一九四項)

封建制を手段とみなしているところが、バークはもとよりバジョットなどと決定的に相違するところでしょうか。

ここまで暗黒面ばかり取り上げてきたので、評価される点、カークのいう、「純粋な民主主義は自由と文明に破滅をもたらすと考えていた」ところをあげていきます。
彼は富の不平等が甚だしい国では、貧者に権力を与えたならば、その結果は恐るべきことになる、財産制度は安全でなく、野蛮状態が現出すると考えていました。絞首台と銃剣という表現は荘厳な文章のなかに時折過激なワードを入れるバークに近いものを感じます。財産制度については、上述の神聖からして当然の懸念ですね。

ところが、大多数の人々がその日暮らしであり、莫大な富が比較的少数の人々によって蓄積されてきた国々においては、事情は甚だ違っている。……だから、もしかかる人々が、現に彼らを抑えることの殆どできない絞首台と銃剣とをその手に収めたとしたならば、いったいどんなことが起こるだろうか(一四九項)

また、フランス革命の悪い印象を挙げて、下層の人民の参加を許す代議制民主主義を否定する発言をなしていました。

それ(=代表制議会)が開催される都市の暴民がそれを威圧するかもしれないし、大向うの聴衆のわめき声がその討議を沈黙させるかもしれないし、或る有能大胆な人物がそれを解散させるかもしれない(一七八項)

さらに、文明と私有財産とを同一視し、それらと両立しえないことを理由に凡ゆる社会的改革を否定するスタンスを持っていました。

財産の安定に文明が依存していること、財産が不安定であるところでは、いかに気候が好適であり、土壌が肥沃であろうと、通商および航海の便があろうと、心身の自然の賜物があろうとも、国民は野蛮状態に沈下せずにはいないということ、他方、人々が自己の勤労によって創造され自分の克己心によって貯えられたものを享受するように保護されているところでは、土地が不毛で天候が苛烈であろうとも、税金が重かろうと戦争が破壊的であろうと、社会は技芸において富において進歩すること(一九八項)

やはり、下層民や大衆に対する警戒を常に持っていて、それらに参政権を与えるのを非常に危険視し、「単なる数によってでなく、財産と知性によって、国民は統治されるべき」と考えていたようです。

私は、病苦によって激昂し、無知のために目がくらんで、自らを破滅させる自由を猛烈に要求する大衆のしつこさに、屈しようとは思わない(二〇〇項)

長くなったので、一旦ここで区切り、カークが主な功績とする功利主義に対する攻撃・批判については次項に改めます。