春恋ねむ。の不定期ショコラβ(仮)

書庫をもじったものです。ステーキショコラにしようか迷いましたが、特に深い意味はありません。幽霊みたいな人が気まぐれで色々考えるブログ的なものがコンセプト。しばらくは暫定として、不定期ショコラSNS.β(仮)という記事に短文形式で書き込んでいく、アップデートしていく的な感じでやっていく予定でござるん。

中川八洋氏の功利主義批判はマコーレーのそれを盗んだもの?

だいぶ前に中川八洋氏の『保守主義の哲学』を一読していて、久々に見たら次の点が気になりました。

「このベンサムの哲学とは、……政治は国家権力が全国民すべての個人個人を監視し(幸福)を強制するという、実に奇妙キテレツな全体主義体制の構想であった」

北朝鮮人民が地獄の日々で(将軍様)に感謝を捧げる、あの全体主義の(幸福)である」

どちらも一〇四項の記述ですが、次に拙稿でまとめたマコーレー評(https://blogs.yahoo.co.jp/hatenoyozora/41499940.html)をご覧ください。

「さらに、(ベンサム氏自身も、自己の幸福が一般的幸福と一致しない人々を説得して、彼の原理に則って行動するようにさせる手段を持っていない)とし、要は、暴君も迫害者も、(最大幸福)の増進の名の下に自己の悪業を行うことができる、人は最大幸福の名で、自己の勝手な幸福を追求することができる点を証明したのです」

説明は不要かもしれませんが、「暴君も迫害者も、(最大幸福)の増進の名の下に自己の悪業を行うことができる」という記述は全体主義体制を意味するものでもあります。何が言いたいかというと、この解釈は「ベンサム」と名乗る功利主義者との論争でマコーレーが指摘したものを故人である、石上良平・元成蹊大学政経学部教授が著書『英国社会思想史研究』で取り上げたものです。つまり、『保守主義の哲学』の前後で、どちらかもしくは両方の名が出ていて引用されていれば、何も非難するつもりはありません(例えば、「カークが取り上げたマコーレーの言うように」など)。あたかも、自分が見つけた功績かのように書かれているのが問題なわけです。

裁判や判例は詳しくありませんが、仮に訴訟を起こされて敗訴、著作権侵害であるとされた場合、石上氏の著書は一九五八年に書かれたものですが、死没は一九八二年。一般に故人の著作権は死後五十年続くので、二〇三二年まで権利があることになり、余裕でアウトになります。


仮に違法ではないとしても、決してパクリではない、知らなかったと弁明するのは非常に困難だと思われます。
そもそも、『保守主義の哲学』で米国のハミルトンとアダムズどっちがナンバーワンか論争を取り上げていて、そのなかでラッセル・カークの『保守主義の精神』が出てきているからです。何も、この書籍に限ったことではなく、『保守主義の精神』は中川氏の別の著書にも普通に出てきています。この『保守主義の精神』でマコーレーが正確にいうと、トマス・バビントン・マコーレーが出てくるのは、ネット上でも要約があって、確認できます(https://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2018-07-04)。もし、マコーレーの論評を意図的に飛ばしていたのなら、知らなかったことになりますが、それはどちらにせよ研究者失格、保守主義の泰斗、大家を名乗る資格はなく、返上されることを提案します。

また、中川氏の著書を読んでいると頻繫に「ハイエクハイエクハイエク、アクトンアクトンアクトン」と二人の名前が出てきます。どちらも保守主義の系譜にある人物で著書で好意的否定的であれ、何らかの言及がなされています。これもネット上でPDFなどで散見できます。

他の弁明として思想的に混濁があったからだ、というのも考えられますが、荒っぽいと評するドラッカー(私自身は一冊しか書かなかったのは別の特殊な意図があると思っていますが)や、かつてマルキストであったポパーを取り上げ論評しているので意図的に存在を抹消している可能性が高いです。似たような功利主義批判をしている、サミュエル・テイラー・コールリッジを著書で私の知る限り、一度も言及していないのは何かやましいことでもあるのでしょうか(https://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2018-06-26)。ちなみに、コールリッジはバークに次ぐNo.2に数えられたことがある哲学者です。

中川氏は著書で事ある度に先行研究をさらうことの大切さを説いてきました。それは大変素晴らしいことだと思いますが、他人に対しては引用を超えた盗作だなどとも攻撃しており、過去の発言と矛盾します。ネット上では、善意の文字起こしを様々な難癖をつけてアカウントをまるごと一つ潰した「全削除」事件なんかもありましたね。他には人様のバーク論を無意味と切り捨てるなど、自分には甘いダブル・スタンダードが見受けられます。そういえば、問題の記述の五行後に「盗用」という言葉が出てくるのは確信犯だからなのでしょうか。

さらに、『民主党大不況』などを読めばわかりますが、中川氏は一定の国立・私立大学をバカにしたり、「廃止せよ」という主張が見受けられます。もしかしたらですよ、いじわるな見方ですけど、「バカな成蹊大学の一教授の著作なぞ存在しないに等しい、適当に拝借しとけば問題なかろう」と心底で思って、無視したのかもしれないですね。

もはや言い逃れはできないと思いますので(国立国会図書館で検索してくださいw)、パクリはほぼ確定。一学者・研究者として最低・ゲスの極みではないでしょうか。

最後に、どうせ無交渉の交渉に徹すると思いますが、日本人相手に貫いても傷を広げるだけ、敗北しか待っていないと助言しておきます。