新ウィッグでありながら「バークの弟子」とも称されるトマス・バビントン・マコーレー(1)
負の側面がそれなりにあるという点で、ジョン・クィンシー・アダムズやジョン・カルフーンに近く、取り上げる必要性に疑問を感じていましたが、米国でバークを広めたラッセル・カークが著書で取り上げているため、書くこととしました。また、日本で冷遇されているところに同情を感じたのも理由の一つです。
カークは、次のように評しているとのことです。(https://kimugoq.blog.so-net.ne.jp/2018-07-04)
カークがマコーレーを取りあげるのは、マコーレーが純粋な民主主義は自由と文明に破滅をもたらすと考えていたからである。とはいえ、どちらかというと自由主義的な立場をとっている分(しばしばホイッグ史観と批判される)、マコーレーにたいするカークの評価は厳しい。
〈荒廃した時代のイングランドにおける、社会的原因と社会的結果の関係に対するマコーレーの理解は、自らその時代を生きたにもかかわらず、ひどく近視眼的としかいいようがなかった。生涯を通じて、産業人口の増加、その潜在的な政治的影響力の脅威、彼らの倫理状況に、不安を膨らませつづける一方、産業化、都市の発展、そして機械化やあらゆる意味での集権化といったものを、マコーレー以上に好意的に称えた者はいない。この自己矛盾は徹底的に自由主義的だ。〉
マコーレーは実用性と進歩を称賛し、道徳を軽蔑した。産業主義が社会の進歩をもたらすと信じ、伝統的家屋より実用的な住宅を推奨した。とはいえ、労働者階級は厳重に政治権力から引き離しておくべきだとも主張していた。かれらが権力を握れば、私有財産制が危機にさらされると思っていたからである。カークが評価するのは、この後半の部分である。
産業社会は格差を生み、必然的に多くの労働者階級を生みだすが、マコーレーはこうした財産をもたない人びとに選挙権を与えるべきではないと考えていた。普通選挙権は貧乏人の利益を拡大させ、勤勉な者からの略奪を容認することにつながるというのだ。
マコーレーは社会主義の祖ともいうべきベンサムの功利主義を攻撃した。「これが、保守主義の理念に対するマコーレーの主な功績である」とカークはいう。
マコーレーはアメリカの民主主義をほとんど評価しなかった。大衆的民主主義が自由と文明を破壊するだろうとみていたからである。カークによれば、「マコーレーは民主主義の反自由主義的傾向について近代社会に警告した」。
だが、国民の大部分が労働者である以上、経済的平等を求める流れは止めようがなかった。その意味で、マコーレーの保守主義ははじめから失敗する運命にあったが、その精神は記憶されるにふさわしいとカークはいう
せっかくこういう題材があるので、カーク評を骨子にまずはマコーレーの基礎情報をまとめていきたいと思います。
彼は、新ウィッグに属していた、つまりはバークの(同じ党でありながら)政敵であったフォックスやその弟子にあたる、「人民の友」の創立者、グレイ卿の立場に立っていながら、人権論者でなかったという一風変わった特徴があります。
そういう経緯があってか、「議会での演説もマコーリーにとっては同じことで、名演説をいくつも残しエドマンド・バークと同格との声」もあるなど、(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%BC#cite_note-16)しばしば保守主義の祖、バークと比較されることがあるようです。
故人の石上良平・元成蹊大学政経学部教授は、『英国社会思想史研究』で、「歴史的事実に拠って判断を下す」点で、むしろエドマンド・バークの弟子と評していて、その一例として、ジェイムズ・ミルの哲学批判の一説、「三千年の経験を放棄しようとするものだ」をあげています。
また、「現世代の人々の利益のみならず、永遠に連続する諸世代の利益を考慮に入れなければならぬ」とのバークが最も雄弁に主張したものを受け継いでいて、「私有財産の神聖」を中心に唱えています。ただ、ここは「イギリス国家の基本構造」を中心に唱えたバークとは違っていて、本流との違いというべきかもしれません。
とはいうものの、哲学的な頭脳においては優れていないという定評があるようで、多くの評論家に下されているという弱点があります。ただ、保守主義の系譜にある哲学者にはその価値を認められているようで、最低でも上述のカーク、ハイエクやアクトン卿が言及しています。アクトン卿の評価は厳しいのですが。
その他の特徴として、党内の身内からも自由な行動が許され、功利主義のジェイムズ・ミルという論的からも厚遇・尊敬されたという事実があるようです。彼の功利主義批判は(日本の)共産党と一線を画そうとする日本社会党の態度に似ている、と石上氏は評していて、当時の政界の複雑さがあったことは頭の片隅にでも置いといていいかもしれません。
(既に承知だと思いますが、ここからは『英国社会思想史研究』の翻訳を参考にしていくことを断っておきます)
さて、カーク評の流れで負の部分から見ていくと、マコーレーは進歩を政府が賢くなる要素と捉えており、それが勤勉や精力、節約に帰すべきだと主張していました。長いので、進歩を称賛していたことがわかる一文を引用します。
何となれば、我が国が人間の物質的快適に寄与するすべてのことにおいて偉大な進歩を遂げつつあることは、疑う余地がないからである(一九八項)
国が人間が進歩するとの発想は全体主義の系譜の一つですね。
さらに、カークは取り上げていませんが、政府の目的は「人民の幸福」であると主張していて、当時参政権がなかった中等階級の幸福が増進させられないのはおかしいと演説しています。そのためなら政府が肥大化してもよいと考えていた節があるかもしれません。
王政と貴族制とは価値があり有益であると私は思っているが、しかし目的としてでなく、手段として価値があり有益なのである(一九四項)
封建制を手段とみなしているところが、バークはもとよりバジョットなどと決定的に相違するところでしょうか。
ここまで暗黒面ばかり取り上げてきたので、評価される点、カークのいう、「純粋な民主主義は自由と文明に破滅をもたらすと考えていた」ところをあげていきます。
彼は富の不平等が甚だしい国では、貧者に権力を与えたならば、その結果は恐るべきことになる、財産制度は安全でなく、野蛮状態が現出すると考えていました。絞首台と銃剣という表現は荘厳な文章のなかに時折過激なワードを入れるバークに近いものを感じます。財産制度については、上述の神聖からして当然の懸念ですね。
ところが、大多数の人々がその日暮らしであり、莫大な富が比較的少数の人々によって蓄積されてきた国々においては、事情は甚だ違っている。……だから、もしかかる人々が、現に彼らを抑えることの殆どできない絞首台と銃剣とをその手に収めたとしたならば、いったいどんなことが起こるだろうか(一四九項)
また、フランス革命の悪い印象を挙げて、下層の人民の参加を許す代議制民主主義を否定する発言をなしていました。
それ(=代表制議会)が開催される都市の暴民がそれを威圧するかもしれないし、大向うの聴衆のわめき声がその討議を沈黙させるかもしれないし、或る有能大胆な人物がそれを解散させるかもしれない(一七八項)
さらに、文明と私有財産とを同一視し、それらと両立しえないことを理由に凡ゆる社会的改革を否定するスタンスを持っていました。
財産の安定に文明が依存していること、財産が不安定であるところでは、いかに気候が好適であり、土壌が肥沃であろうと、通商および航海の便があろうと、心身の自然の賜物があろうとも、国民は野蛮状態に沈下せずにはいないということ、他方、人々が自己の勤労によって創造され自分の克己心によって貯えられたものを享受するように保護されているところでは、土地が不毛で天候が苛烈であろうとも、税金が重かろうと戦争が破壊的であろうと、社会は技芸において富において進歩すること(一九八項)
やはり、下層民や大衆に対する警戒を常に持っていて、それらに参政権を与えるのを非常に危険視し、「単なる数によってでなく、財産と知性によって、国民は統治されるべき」と考えていたようです。
私は、病苦によって激昂し、無知のために目がくらんで、自らを破滅させる自由を猛烈に要求する大衆のしつこさに、屈しようとは思わない(二〇〇項)
長くなったので、一旦ここで区切り、カークが主な功績とする功利主義に対する攻撃・批判については次項に改めます。
リバタリアンやそれに近い保守主義者が擁護するJ.S. ミルの危険な正体
J.S. ミルとは、wiki(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB)にもあるように、「社会主義者」であることを隠していません。ですから、リバタリアニズムや保守主義とは国家干渉を嫌う点で対極にある思想になるはずですが、頑なに擁護する傾向にあるようです。以前、Twitter上で反ルソーでバークを支持するリバタリアンの血が混じった保守主義者と多少関わったことがあるのですが、ミルを批判するツイートをやると、即座に反駁するかのようなツイートをしていたのを記憶しています。今回はそういうサイドにモテモテなミルを剔抉していこうと思います。
J.S. ミルとなると、『自由論』がまず先頭に出てきますが、その主張といえば、他人の自由に迷惑をかけない限り、個人は自らの「主権者」であるから、何事にも「自己決定」できる「自由」がある、という内容で、その危険性についての指摘がネット上に見受けられます(http://www.geocities.jp/burke_revival/burke.htm)。
ミルのように「他人に迷惑をかけない限り」と言っても、自分の行動が「他人に迷惑をかけていない」と何をもって判断するのか。
あるいは、極論すれば、なぜわれわれは、「他人に迷惑をかけてはいけない」と感ずるのか。
おそらく、多くの日本国民は、「他人に迷惑をかけていない」とは“日本国憲法”や「法律」に反していないこと、と答えるかもしれない。
しかし、最低限度そうであるとしても、それでは“日本国憲法”や「法律」に反することが何故いけないと思う(感じる)のか=他人に迷惑をかけてはいけないと感ずるのかを問えば、それは日本国民各個に備わっている義務観・道徳観・倫理観に由っていると答えざるえないことは自明であろう。
では、“義務観”や“道徳観”や“倫理観”とは「何であるのか」をわれわれはどのように学び、知り、身に付けるのであろうか。
それは、決して先天的に人間の理性に備わっているもの(=放っておけば成長するにつれて自己の理性が自然に発現して身につくもの)ではなく、日本国の法や伝統や慣習の中に涵養された道徳観・義務観・倫理観を“家族”や“血縁、地縁、宗教、職業などから自生的に成長する社会(=個人と国家の間に形成され、国家権力の個人への直接的干渉を抑制する「中間組織」)”の中で躾られ、教わり、学ぶことによって知るしかないのである。
つまり、ミルの言説のような「伝統や慣習の否定」と「他人に迷惑をかけない」は両立不可能の甚だしい矛盾律であることが解るであろう。
また、明らかに「矛盾するもの」を「矛盾しない」とする「詭弁」はルソー哲学やヘーゲルの観念弁証法やマルクスの唯物弁証法に顕著に現われる
しかし、これだけだと伝統や慣習をどう思うかの次元で、基本的にそういうのに否定的なリバタリアンにとっては痛くも痒くもないはず。ですが、人物についてみるときは前後や他の著作・発言と照らし合わせる必要があります。
石上氏によると、ミルは一八〇六年出生からして、フランス革命の直後に産まれたことになる幼少期のころからフランスの空気を好んでいたようです(二一一項)。当時のフランスの「空気」とは、正統な自由・伝統が徹底的に破壊され、暴動多発、ギロチン大量稼働で流血の地獄絵図なわけだったので、小さい頃から心がどす黒く染まっていたようです。そしてどうも、一生変わらなかったようなので、革命の再生産で血で血を洗うフランスに対して嫌悪感を覚えなかったのでしょう。
さて、ミルの二月革命に対する想いは、ベインという人物が回想するように、「一八五一年十二月の破局まで、フランスの政治的将来に対して熱烈な信頼をよせていた」ほどであり、それは一八五二年に書かれた、「一八四八年二月のフランス革命の擁護ーブルーアム卿等に答う」に収束されます。時系列を整理すると、この論は『自由論』(一八五九年)の七年前に書かれたもので、いじわるな見方をするとこの時点でもミルの定義する「自由」は相当胡散臭いものになります。
さらに、死去の年に出された、『自伝』では二月革命をおおまかに次のように回想しています。
「一八四八年の後に来たヨーロッパの反動的傾向のためにフランス及び大陸諸国における自由もしくは社会改善の見込みは一切打ちこわされたように思われた」
ここで問題なのですが、果たしてミルの指す「自由」とはどのようなものなのでしょう。普通の方なら、常識的なまっとうな、平穏な社会を維持できる「自由」とは程遠いものをなんとなくでも感じるはずです。しかも、改善と来たのには腰を抜かす人もいるのではないでしょうか。向かう先は深淵か地獄のように思えてくるものです。
このように、ミルの『自由論』は二月革命を称賛・擁護する最低でも二つの書籍の中間に書かれたものであり、額面通りに受け取ると正確な批評ができなくなります。どう考えても、ミルの志向する「自由」は、「他人の自由に迷惑をかけない限り」の条件付きのものではなく、「自由ゼロをもって自由とする」ルソーすら想起させるものであり、間違えても保守主義者を名乗るなら支持・擁護してはいけないものです。控えめにみても、ミルの自由論は気分によって変動するような不安定なものであり、真面目にとらえれば馬鹿を見るような代物でしょう。もしくは、心底ではヨーロッパ中が、ギロチンの阿鼻叫喚の地獄絵図になる日を夢見ていたのでしょうか。
また、英国労働党の思想的源流を読んでいくと、ロバート・オーウェンと並びJ.S. ミルの名前が出てくるとのことです(三四五項)。これをもってしてなお、ミルを支持するというリバタリアン・保守主義者がいるのならたいしたものです。労働党は穏健な社会主義者だけでなく、権力を握れば大量殺戮をしでかすであろう共産主義者も数多く潜んでいると言われますので。
日本において、リバタリアンや保守主義者もしくはそう名乗るものたちがが受け入れられないのは、自らの軸すら正確に定められない脇の甘さにあるように思われます。要は、知識がない人でもどことなく都合がいいとか胡散臭さを感じてしまうのでしょう。極論をいうと、まともな政党とまでは言わなくても政治結社レベルですらなく、ただの一人も国会に送れない能力の低さもあると思いますが。そういうひとたちが、ノンポリやネトウヨ、国家社会主義的な人たちを見下していたり、けなしていたりするならば爆笑モノです。大同小異という言葉の大事さが分からないのかと。
中川八洋氏はギフテッドなのか?
UNオーエンや最終鬼畜妹ではありません、悪しからず(笑)
なお、これから述べる経歴に関しては、丹念にまとめられた中川八洋先生年譜(https://nakagawayatsuhiro.jimdo.com/%E4%B8%AD%E5%B7%9D%E5%85%AB%E6%B4%8B%E5%85%88%E7%94%9F%E5%B9%B4%E8%AD%9C/)を参考にします。当然、虚言や妄言ではないという前提です。
始めに蛇足かもしれませんが、中川氏とギフテッドを紐づけるとき、思い浮かぶのが、牧瀬紅莉栖(まきせ・くりす)というキャラクターです。「海外留学し、アメリカのヴィクトル・コンドリア大学(架空)へ飛び級で入学した天才少女。18歳にして大学院に所属し、脳科学研究所の研究員。高名な科学雑誌にも論文が掲載され、その界隈では有名人」という設定で、一見堅物に見えますが、匿名掲示板の@ちゃんねるに重度にハマっているサブカル性があったり、ハイデガーを口にするなど哲学方面、音楽に関しても造詣を持っている特徴があります。
こう聞くと、知らない方でも、「あぁ、なるほど」と思い当たることがあるのではないでしょうか。そう、中川氏は政治哲学や軍事、国際政治学など純粋な学問だけでなく、サブカルにも興味があります。「バカの気持ちが分からずに政治活動ができるか!」と管理人に一喝するほど、ドラマや芸能を嗜み、またYoutubeでは8chと付記するなど、明らかに2ちゃんねるを意識している事実があります。もしかしたら、定期的に覗いているのかもしれませんw 幅広い造詣があり、似ていてギフテッドの可能性があるという点で非常に興味深いことだと思います。
さて、本旨に戻るとして、中川氏は小学生の時点でかなり怪しいことをやっています。小学校四年生(9歳)のとき、若い女教師の発言、「中共から蝿がいなくなりました」との発言に年相応でない論理的な疑問をぶつけています。ファンの人なら純粋にこのころからすごかったのかと思う人多しでしょうが、こういう発言は9歳の時点の努力ではなしえず、教師の発言のおかしさに気付くのはそう簡単なことではないはずです。この時点ですでにギフテッド率が高いのですが、もう一つ推測すべきことがあります。そもそもどこで培ったのかもわからないそんな頭脳があれば、担任教諭に邪推に扱われるだろうとかクラスで孤立する可能性に気付くはずです。ところが、それに純粋に頭が回らなかったのであれば、空気が読めない特徴があることになり、アスペルガー等の可能性が出てきます。専門的な話になりますが、2Eと呼ばれる、日本語での「二重特殊ギフテッド児」が正確な位置付けになると思います。つまり、先天的に持った突出した才能がありながら、発達障害などの精神疾患を併せ持つ人物だったことになります。名前についても、終戦の年に生まれ、何かを感じた両親が世界の八つの大洋を意味する、「八洋」と名付けたのかもしれません。
その後は、金子堅太郎の系譜でトップクラスのエリート校、修猷館に入学したり、東大の難しい部類に入ったり、西のハーバードといわれるスタンフォード大学に留学したり、行政の一役人になったりとこれまたすごい経歴ばかりですね。しかも政治家に取り入り、ブレーンになったりグループを作ったりなんてこともあります。そんな年月を経て、筑波大学の教授に40代でなったのもすごいかと。
そういう事実を踏まえた上で、決定的だと思ったのが次のブログでの発言です。
「米国の一流大学はレベルが高く、東大の非ではない。東大なんか生まれながらの秀才にとっていっさい受験勉強せずとも簡単に入学できるが、米国の一流私立大学はそうはいかない」
一般の日本人が聞けば途端に激怒を覚える発言だと思いますが、ギフテッドに関して一定の知識があるひとなら、いよいよ尻尾を出したなと思わずニヤリとなります。一般的に日本では才能に関しては先天的なものは大したものはなくて、後天的に得た能力より劣るという見方があります。ところが、英米では先天的な能力差があるという前提が普通に存在していて、中川氏のいうような、「生まれながらの秀才」はたくさんいることになっていて、公教育の世界でも見つけ出すシステムがあるのです。おまけに行政が定めたギフテッドに関する多元的な定義が世界各国で引用・流用されている実態があります。私の分析としては、中川氏は「努力する才能が並外れた」ギフテッドで、分析系の方向があると考えてます。
そんな不安定で並外れた中川氏がたくさんの理論体系を書籍として出版し続けられたのは周囲の人が優しくて理解があったからだと思います。上手く誘導していたのではないかと。ただ、経歴詐称をするだけでなく、裏で期待・信頼を裏切る何かをやらかしたから干されて最新刊は自己出版の運びになったのではないでしょうか。つまりは本格的に壊れてしまったのかと思います。
中川八洋氏はどこからおかしくなったのか?
最大の謎かもしれませんが、私見を。大きく分けて、ブログ・書籍・Youtubeがあるので、それぞれ考察。
個人的にチャーチルを題材に軍事的・地政学的な記事を挙げていたころはまだマシというか名誉教授の品格はあったと思います。少なくとも2016年12月近辺は保守主義の話題もあって、らしさは確実にありました。3例挙げると以下のように。
ですが、チャーチル論を境に使い回しやただ言いたいことを乱発してるだけのような記事が多くなり、3ヶ月休んだあとからの記事群はハチャメチャで、マウス氏が指摘しているように、自身の目的のためなら間違った・矛盾している手段・論法を平気で用いるようになった実感があります。最近は、更新されても読むのに勇気が必要になりました
・書籍
私は以下に挙げるように、中川氏の大ファンでそれなりの著書を読んだ経験があります。
『正統の哲学 異端の思想 「人権」「平等」「民主」の禍毒』
『国が亡びる 教育・家族・国家の自壊』
『正統の憲法 バークの哲学』
『歴史を偽造する韓国 韓国併合と搾取された日本』
『保守主義の哲学 知の巨星たちは何を語ったか』
『国民の憲法改正 祖先の叡智日本の魂』
『日本核武装の選択』
『福田和也と“魔の思想” 日本呪詛(ポスト・モダン)のテロル文藝』
『亡国の「東アジア共同体」 中国のアジア覇権を許してよいのか』
『脱原発のウソと犯罪』
『TPP反対が国を滅ぼす 農水省・JA農協を解体せよ!』
『対論・政治改革の非常識、常識』
『教育を救う保守の哲学 教育思想(イデオロギー)の禍毒から日本を守れ』
『原発ゼロで日本は滅ぶ』
中川氏の軌跡ともいえる作品群でめちゃくちゃ尊敬していたころを思い出す遺産・理論群で、もうあの頃の中川氏は戻ってこないのかなと悲しくなります。
さて、本題ですが確実に変わった、見方によってはおかしくなったといえるのは、最新刊の『昭和天皇と靖国神社 東京裁判は、日本の国益を毀損したか』だと思います。その前の、きちんとした出版元から発売された『尖閣防衛戦争論』と比較すると内容・文章の切れ味が雲泥の差で、編集者がいないとここまでダメになるのか…と絶句しました。購入した書籍は大方一読してきましたが、昭和天皇と靖国神社は今なお読み終えていません。まるでブログ気分で書かれたかのような内容で、読むのが難しいです、正直。買って後悔した一冊です。
なお、2012年発売の『脱原発のウソと犯罪』で、経歴詐称を公然としていたことが話題となっていますが、一時期、「干されたのでは…」と噂されてたのはそれも一つの要因なのでしょうか。文章が攻撃的で経歴詐称は破壊力バツグンであり、まともな出版社ならどこも取り合わないはず。結果、最新刊は自己出版となったのかと推測しております
これは数が少ないこともあってか、ましな内容となってます。ただ、03が削除されたという闇もあるようで、(詳しくは、拙稿https://blogs.yahoo.co.jp/hatenoyozora/41486264.htmlを参照)一概には言えませんね。
しかも、02が、2016年5月3日公開なので、ブログの年月と照らし合わせるとまだまともだった時期でもあり、最近03を差し置いてでも投稿がないのは何かあるのでは、と勘繰りたくなります。まさか、ブログの記事のような話し方しかできなくなっているとかだったら本当に嫌です…
最後に、中川氏が記事を書き続けているのは、治療の一環なのかなと思うことがあります。うつ病の患者さんなんかがそうで、好きだったことに目を向けて手を動かす療法があるみたいで、似たような精神疾患を発症してる可能性があります。残念ながら、晩節を汚すことになるのは確定ですが、どうしようもないのかな…と諦めがあります。
また、個人的に観察していると、ギフテッドとの関連も想起させるものがあります。時折見せる不安定さが気にかかるのですが、それらは別の機会に預けます
中川八洋ライブ03が削除されたのって私のせい?
イマサラタウンな感じですが、詳細を。告白みたいなものです。
中川八洋ライブ03が挙がって、即座にメモを取るくらい喜んでいましたが、翌日か2、3日後に内容に関して疑問が湧いたので、大体次のようなコメントを書き込みました。
たったこれだけを書き込みました。すると、同じく翌日か2、3日後に消えてなくなってました。
( ゚д゚)としましたが、考えられるのは2つの線ですね。
1つは、図星だった。しかし、最近の中川氏はいろいろアレですが、警鐘が全て妄想だとは考えづらいですし、仮に完成されてなくともいつ技術を持つかは未知数で完成しているという前提で防御策を練るのは不自然ではないと思います。
2つ目は、コメントにいら立った、つまらないと感じた。しかし、これならはっきり言わせてもらうと最初っからコメントできないようにすればいいじゃん!って話になるかと。もしこれが本当なら中川氏もしくは吉田寿太郎氏は相当幼稚ということになり、あんまり考えたくないです。
それはそうと、大分経ちますが、「修理中」って何を修理してるのかなぁ…脳みそとか? 仮にですよ、中川氏と吉田寿太郎氏が別人として狂気の文章、表現を先生が書き上げたのなら、管理人の吉田氏は修理する責任があるんじゃないでしょうか。だって、Twitter上で、気に食わないからと1つのアカウントを潰すくらいの権限を持ってますから。俗に言う、「全削除」事件ですね。
遺伝性の精神疾患がある人間なのであんまり人のことをいえる質ではありませんが、中川氏もしくは吉田氏両方とも、相当エキセントリックな病み方をしてるんじゃないかと、はい。
ラミクタールの抗躁(抑制)作用?
現在、リーマス400、ラミクタール100、オランザピン2.5を服用してますが、過去の反動からしてみれば無難に軽躁状態を乗り切った感があるので、一つの参考として。私特有の反応かもしれませんが、似たような記事がネット上に存在しないので書くこととしました。特に記載のない限り、数字の単位はミリグラムです。
この組み合わせに至った経緯を並べると、
①メインのリーマス400では、軽躁を防ぐことも抑制することもできず、自覚のない暴走を繰り返し、連日相当な希死念慮が襲いかかってきて抗うつ薬でも飲まないと助からないのではないかとお医者様に相談し、紹介してもらったオランザピン5を飲んで大幅に改善
②まだ試していなかったラミクタールを服用することに決め、50に到達した段階で謎の定期的な頭痛に悩まされ、元々飲んでいたオランザピンの量を半分の2.5にすることで解決。ラミクタールが100に到達してしばらくしてエネルギーの波が緩やかにフラットになる感じを味わう
③この組み合わせで一定の時が立ち、エネルギーがいつも溢れているかのような感覚がやってきて、軽躁が来たなと自覚できた
結論からいうと、ラミクタールは他の薬との兼ね合いがあるので一概には言えませんが、気分やエネルギーの不安定な波がフラットになる感覚まで調整していけば、自覚することができる、つまり完全に防ぐことはできずとも相当抑制できる可能性が高いと思います。フラットになる感覚というのは一度体験しないとなかなかわかりずらいとは思いますが…。ただ、これはうつ状態のときか普通のときにしか調整できない難点があり、私の父親が双極Ⅰ型なんですが、薬を減らさないとよくならないとか変な固定観念にとらわれているとどうしようもないですね。もしかすると、この戦術はⅡ型にしか通用しない可能性もあるので。
個人的な見方を述べると、双極性障害でいう、(軽)躁状態とは、それに乗っ取られた状態を表していて、逆にいえば心のなかに2人、普通の自分が存在する余地があれば、自覚するのは難しくなく、症状によっては周りの人を気づつけることも少なくなるはずです。気づけた今回のケースがそうで、普通の人から見れば多重人格に思えるかもしれませんが、自分の心のなかに上述した2人が確実にいて背中合わせになっている感覚がありました。付け加えると、対等になってましたね。
私が軽躁状態に入ると、遠出をしたくなるもしくは普段運動しないくせに毎日散歩したくなる衝動、やれるぞという感覚に駆られるんですが、客観的に冷静に見れて異常な動きをすることはなかったです。私のⅡ型は自殺した祖父から脈々と受け継がれてきた遺伝性のものなので、相当難しいかなと思っていましたが、なんとか打ち消せるんだなと自信が湧いてすごく嬉しかったです。今回この記事を書いたきっかけなんですけどね。
ラミクタールは相当なポテンシャルのある気分安定薬だと思いますが、弱点が2つあるんですよね。1つは、薬価がそれ相応に高く、本当は200飲みたいんですが、100で止めてます。効果があったので、一安心ではあるんですが。2つ目は、人によっては、そもそも服用できないもしくは既に飲んでいる薬との相性によっては、相当慎重にならざるを得ないところですね。薬疹、重篤な皮膚障害、デパケンですね。
エビリファイに後継薬としてレキサルティが出たように、ラミクタールにもそういう弱点を克服し、マルチに対応できる新薬が登場することに期待したいですね。この記事が少しでも多くの同じ悩みをもつ患者さんのお役に立てれば光栄です。
Cygamesさんが、佐賀で等身大フィギュアの展示会をやってくれないかなという妄想を兼ねての考察
※はてなブログでの交流から着想した記事です。
案の定検索したら、ズバリでした。しかも規模拡大とはビックリ。
問題は、Cygamesさんがそういうイベントに関心を持っているか、考えているかなんですが、こっからは妄想ですね。目に留まってくれればそれに越したことはないんですが。
まず、Cygamesさんはグラブルといった純粋なソシャゲのほかに、アイマスの系列(間違ってたらすいません)にあたる、デレステを運営しています。ここらへんなら、佐賀で責めるのは難しくないと思います。気になるのは、バンナムが開発元で、どっちが偉くて主導権があるかなんですが、Cygamesさんは有名なお笑い番組のスポンサーをやっていたり、たしかスポーツにも似たような動きをしていて相当な影響力を持っているので、「やりましょう!」といったら、そう簡単に「認められないわぁ」と却下するのは困難かなぁと。
第2に、タイミングですが、やはり上記の記事にあるように、2019年12月前後にオープン記念としてやっちゃうのがいいかと思います。寒い季節なのが気になりますが。
第3に、場所ですが、Cygamesさんの自社ビルが一番いいんですが残念ながらそこはほぼデバッグセンターなので、実行するのは困難なんです。ほかに思いつくのはまずどう考えても相当な広さがある、森林公園ですがバスを使わないと絶対に行けない距離になるのでどうかなと。そうなると、九州一廃れた県庁街・商店街という実態がある白山アーケードを振興も兼ねてその周辺にある、エスプラッツや656広場が思いつきます。ただここも、相当な人が押し寄せるかもしれない事態を考慮すると、面積・収容能力的に大丈夫かなぁという不安が。下手したら死人がでるかもなので。そういうわけで最後に思いつくのが、名前がアレですが、どんどんどんの森、通称どん3(実態は軽いスポーツができる芝生の広場)です。ここなら、佐賀駅からも徒歩で行ける距離で貸し切れば相当な広さを持て、人がごった返しても大丈夫かと。しかもこの周辺は、かなり昔賑わっていた場所でもあります。
第4に、内容ですね。できれば、メインは等身大フィギュアでやってほしいですが、2分の1スケールでもいいですし、場合によってはデフォルメを扱うのも実行する意義があるかと。私自身は詳しくないですが、デレステのキャラを中心にグラブルを混ぜるのが人が見込めていいんじゃないでしょうか。
フィギュア以外の内容にいくと、佐賀らしさを押すならいろんな方向性が考えられます。まずは佐賀錦。特徴的な紋様をあしらった財布やハンドバッグを売りに出すのもいいですし、そもそも着物を着たフィギュアにするのもありかと。キャラがペイントされた焼き物(器など)、肥前ビードロとかも面白そうですし、肥前名尾和紙というのもあって、知名度はともかくバリエーションは非常に豊富です。
(調べていて気づいた発見)
プレジデントオンラインがこういう特集をやっていたのは斬新な発見がありました。
佐賀空港へのアクセスの良さを挙げていて、佐賀市街から佐賀空港まではクルマで30分程度、日帰り出張も十分可能だとのこと。何日駐車しても無料なのにも驚いたそうです。福岡へのアクセスの異常な良さ(鉄道網)はわりと知られていると思うんですけどね。
何故これが斬新な発見かというと、ついつい佐賀県民は自分たちのステータス目線で考えがちで、そもそも空路を使うなら多少遠くても福岡空港を利用するからです。いくら駐車場が無料といっても航空運賃がかなり差があるようで(私単独だと、行くことは簡単かもしれませんが、帰還するのがかなり困難なので聞いたはなしです)、辺境にある使いづらい空港とか赤字垂れ流しのとりあえず作ったハコモノとしか思われてないです、はい。
ですので、飛ぶ鳥を落とす勢いのデベロッパーからしてみれば、充分許容範囲の差なんだということに驚かされたわけです。しかも、「佐賀は他社と競合が少なく、人手不足の今も優れた人材が採用できる」という認識をもっているようで、そういうでかい企業でも競争から離れた保養地みたいなものを求めてるんだなぁと気付かされました。
つまり、上手くいけば連鎖反応が期待でき、さらにオスプレイ配備が実際に実現すればミリオタも囲い込むことができ、地元佐賀の発展に期待していきたいところです。